フロントエンドエンジニアから広報へのジョブチェンジ――理系大学院を中退したわたしの人生
こんにちは!
ASUE株式会社の広報担当、N村です。
本日のインタビューはこの人――。
わたし、広報のN村です。
実はわたし、ASUE入社時は制作課での入社でした。担当はフロントエンド。
そんなわたしが、どうして広報になったのか――?
答えはそう、神のみぞ知る(わけではない)。
理系大学院での挫折――「こんな人生もう無理!」
大学はがっつり理系だった。
高校のときから化学が得意だったし生物も好きだったし、ぼんやりと地元のそこそこの大学の理系学部に進学して、そこそこの大学の大学生らしく勉強に励む日々――というほどでもなく、普通の大学生だった。
わたしの通っていた学部は理学部で、一説には「就職無理学部」と言われていた。学科は人気の高い化学科だ。
普通に学部卒で、学んだことに関連するような企業へ就職することは難しい。
主な道は、「大学院に進んでアカデミックの道」「大学院卒業後に企業の研究職」「学部卒で教師」という3パターンだ。
そして、特に多いのが「大学院卒業後に企業の研究職」だった。
他の大多数がそうであるように、わたしも「理系の研究職とかにつくのかな。」とぼんやり考えていて、3年生の基礎実験の授業を終えた後は4年生で研究室に配属された。女子は一人だったけど、同期のメンバーがよかったし、それなりに楽しくやれていたと思う。
でも、とにかく研究室自体がしんどかった。
理系の研究室には、コアタイムというものがある。
企業でいうところの「定時」だ。
わたしの研究室のコアタイムは朝9時から夜21時まで、その12時間は研究室にいなくてはいけない。
さらに、土曜日は研究の進捗発表を持ち回りで行うミーティングがあるから午前中は絶対行かなくてはいけないし、週に一度朝8時には研究室にいないといけない日もあった。
さらに、研究室の学生で一番上(博士課程3年目)の男性は、あからさまにわたしのことが嫌いだった。
初日にとても失礼なことを言われても、指導等でお世話になっていたしずっと広い心で見ていたのに、4年生の終わりの学会時の他大学との交流会で、わたしのことを「馬鹿女」と言っていたのを聞いて、わたしも大嫌いになった。
ある日、大好きなライブにも舞台にも、もう長いこと行ってないことに気が付いた。
将来のためなのか何のためなのか、それさえもよくわからなかったけど、自分の今好きなものを捨てる選択がわたしにはできないことに気が付いた。
同期や大多数の先輩も先生もそれなりに好きだったが、いいことよりも無理なことの方が気付けば比重は大きくなった。
「もう無理!!!」
そうしてわたしは、何も考えずに休学して就職活動を始めたのだった。
中学生の頃に流行った「ホムペ作り」――手に職をつけよう、と再び勉強を始めた
さて、何も考えずに休学して、就職活動を始めたわたしはとりあえずぬるっと就職したい……という緩い気持ちで職を探した。
黒いスーツを着て、黒いバッグ、黒いパンプス、ずっと茶色かった髪も黒くした。
でも、そもそもわたしみたいな人間が、普通の会社で普通に就職(しかも新卒ではない)――というのは土台無理な話であった。
黒いスーツも、もう着たくない。
なんとなく立ち寄った本屋で、htmlの本が目に入った。
「あー……これ得意だったな。」と思った。
わたしが中学生くらいの頃、無料のサービスで、自分でhtmlを書いてサイトを作る――みたいなのが流行っていた。
例にもれず、わたしも一時期凝っていた。ガラケーを使って、せっせと<font color=”red”></font>とか書いていた。
「これならできる気がする……」
今思えば、非常に短絡的だったけれど、html5やcss3すらよくわからないままに、わたしは本を購入して、ひたすら自分のノートPCでコーディングをしたのである。
面接は代表と常務と、わたし――笑う後藤と漫画がカバンに入ったわたし
さて、htmlとcssくらいならもうできる――と高を括ったわたしは、とりあえず名古屋市内の制作を行っている会社二社のアルバイトに応募してみた。
そのうちの一社がASUEだ。
最終的な応募の決め手は、地獄のミサワ風の代表安江の加工された写真が募集ページにあるのを見て、好感を持ったからである。
同じ日に両方の面接を入れて、もう一方の会社の面接を終えてから、わたしは久屋大通駅にあるASUE株式会社に足を踏み入れた。「駅から近いから、ここいいな…。」なんてことを考えながら。
面接の担当は、代表の安江と常務の後藤の二人だった。
当時は何とも思わなかったが、今思えば、わたしの通っていた大学がいいところだったからこそ、面接に呼ばれてこの二人の面接を受けられた気もする。
(そうでもなきゃ、ポートフォリオもなく未経験のわたしが面接に通される理由がわからない。)
面接のときのことはあまり覚えていないが、「荷物が多いね」と言われて「PCと漫画が入ってて…」と答えたのと、安江の横で常務の後藤がずっと笑い続けていたことだけは覚えている。あと、話の流れで後藤に「安江さんもイケメンだよね?」と言われて、返答に詰まった記憶もある。
未経験だし……と、一度一週間お試しで来てみないかということになり、翌週わたしはASUEに来ることになった。
散々なデザインと、巻き返しのコーディング――保守運用契約のお客様の担当として入社が決定
翌週、わたしに与えられた課題はASUEでランディングページ(LP)を作っていた商材のLPの途中までを自分でデザインして、その部分のコーディングをしてみよう!というものだった。
デザインは正直散々だった。
イラストレーターの最低限の使い方はわかっていたけれど、そのくらいでできるわけがない。
残りはあと午後と次の日……というところでようやくデザインが完成した。
コーディングに入ってからが、多分早かった。
午後にスタートしてから、翌日午前中くらいにコーディングが完成した。
その日の午後、今後についての面談があった。
お試し期間、わたしの面倒を見てくれていた制作課課長の柴田が、「デザイナーとしては入れられないけど、コーディングについては適性がある」と安江や後藤に進言をしてくれたおかげで、わたしは晴れてASUEの社員になったのだった。
最初はアルバイトとして、社内で保守契約のあるクライアントの修正業務としての入社だった。
覚えることばかりの制作課時代――気付けばコーディング担当に
5月に入社して、最初の3ヶ月はアルバイトだった。
修正依頼をひたすら修正して報告して……の繰り返し。
WordPressのサイトもあったから、途中でWordPressも覚える必要が出てきた。
わからないことは検索して試して聞いて、その繰り返し。
4ヶ月目の8月、会社の期が変わると同時に正社員になった。それと同時に、大学院には退学届を出した。
入社前には触ったことがなかったJavaScriptやjQuery、PHPも簡単なことだけだけど少しずつ覚えた。
5月にアルバイトとして入社して、その年の年末から翌年明けにかけてリニューアルサイトのコーディングを2件担当した。
入社からその頃まで、未経験だったわたしには覚えることばかりだった。
作業スピードも十分じゃないから、コーディング案件や修正業務が重なると、それなりに遅くまで残ることもあった。
そうして気が付いたら、コーディング担当のようになっていた。
コーディング案件の連続――その頃、ブログを書き始めた
入社から1年経つ頃には修正業務の担当は他の人に引き継いで、新規案件の構築がメインになっていた。
その頃、会社のサイト内にあるブログ「ASUE通信」で社内制度について、ブログを書くようになっていた。
実際にわたしが初めて書いたブログは、入社から半年後に書いたものだ。
社内制度である「面白レポート手当」に惹かれたという最低な理由で筆をとった。
※面白レポート手当:当時は執筆した記事がブログで一定数のシェアを得られたときに報酬がもらえるというものだった。現在は、「ASUEオフィシャルサイトのCVに貢献した記事の執筆者・編集者にインセンティブが発生」という内容に変更されている。
このブログから、わたしにブログ担当のお鉢が回ってきたのである。
文章を書くことが好きだった学生時代
中学校のとき、ホムペ作りなるものにハマっていたのは先述の通りである。
当時、mixiが出始める前の頃で、SNSという概念はまだ聞いたことはなかった。
わたしも友達も、自分で作ったホームページに日記のようなものを書いていたのである。
自分で面白く書けたな、と思ったときに友人から「気持ち悪いんだけどwwww」と言われるのが嬉しかった。この「気持ち悪い」は褒め言葉だなと心得た。
中学の頃は、学校で作文コンクールがあった。
お題が冬休み前に出されて、年明け最初の現代文の授業のときに書いて提出するものだった。
中二のときのテーマは「風」。
創作でもよかったし、風にまつわる思い出も何も浮かばなかったから、かざぐるまをモチーフにしたハートフルな短編小説を書いた。
同級生で小説の賞を取ってデビューすることが決まっていた友人をおさえて、1位を獲った。
高校に入る頃には、mixiやTwitterなどのSNSを利用するようになっていた。
そうやって形を変えながら、いろんなところで文章を少しずつ書き続けた。
「このままわたしはランディングページをコーディングし続けるのか?」
1年半程度過ぎた頃には、たまにブログを書きながら、ASUEの中では規模の大きいサイトの構築やランディングページのコーディングをして……ということをしていた。
ブログを書くことは楽しかった。代表の安江も、基本的にわたしの自由に書かせてくれる。
サイトの構築も、いろいろ新しいことができて楽しかった。
ただ、ASUEの業務の特性上――ASUEでは広告と制作をワンストップでできるという特性があるため――制作案件の多くを占めるランディングページのコーディングも多かった。
つまらないわけではない。
ただ、htmlとcssを書き続ける、ということには少し飽き始めていた。
クライアントとの窓口に立てるタイプではないと思っていたから、ディレクターなんて絶対に無理だと思った。
一度、ECサイトのデザインも担当した。正直そっちの道で続けていける気はあまりしなかった。
わたしは一体、「いつまでコーディングだけをやり続けるのだろう」という疑問が少しずつ膨らんでいた。
コメダ珈琲に呼び出され「広報やらない?」――広報への異動
Webマーケター・ミヤタと協力して書いたASUE通信が少し話題に
わたしがASUE通信で社内制度についてのブログを書き始めてから、社内で「リスティング広告についての記事も書かなければ」という話が出た。
それがきっかけで、ミヤタが草稿を書き、わたしが編集を行う業務関連のブログを書くようになった。
社内制度のブログと比べてみても、書いたり相談したり、編集にもものすごく時間をかけた。
その分、最初のブログを公開するときの緊張感はすごかった。
公開当日と翌日、じわじわとTwitter上でシェアされたり、感想が書かれているのがTLに流れてきた。
「面白かった」「代理店の内側が見えてとてもいい」――今まで書いたどの記事よりも、反響が大きかった。
【ASUE通信】リスティング広告の成果が落ちた……おい代理店何やってんだよ!っていうときに代理店がやっていること
Webマーケティング課のメンバーが真摯に案件と向き合ってしっかりと運用していたからこそできた記事だし、リスティング広告の知識が乏しいわたしでは当然だけど書けないものだった。重要な「中身の部分」はわたしじゃなくてWebマーケターのミヤタが書いた。
でも、今まで書いていた記事と比べて格段に見てくれる人が増えたおかげで、わたしが関わった記事を読んでもらえること、面白いと言ってもらえることの楽しさを感じたのである。
「久屋大通のコメダに来て」と安江からのチャット――広報異動の打診
ミヤタと連携しながら業務関連の記事を書いたり他の記事を書いたりサイトの構築をしたりランディングページのコーディングをしたり……と、業務をやる日々。
ある日、安江からオフィス近くにあるコメダ珈琲に呼び出された。「なんだろう…。」と思いながら向かうと、店内には安江と後藤がいた。
「シロノワール食べたい……」と思いながら、席に着いた。アイスティーだけ注文した。
そこでわたしは、「会社として、広報に力を入れていきたい」という今後の会社の方針を聞かされたのである。
「広報専任担当にならない?」
安江だったか後藤だったか、普通こういう場面って「よく覚えてる」ってなるんだろうけど、正直覚えていない。
多分シロノワールが食べたいなって考えてた。
わたしは「はぁ……制作課が問題ないなら……」という、今思えば雑な返答をした。
コーディングやフロントエンドに関して言えば、社内で一番できるという自負があった。単純なマークアップの部分に飽きを感じてはいたし、この打診が悪いものでないことはもちろんわかっていたけど、「わたしがいなくて技術的に問題ないんですか!?」という――プライドのようなものもあったと思う。
それに、わたしができることと言えば、人よりふざけた文章が書けることと、一日中Twitterを監視することくらいで、「広報って何をやるの?」というのもあまりよくわかっていなかった。
それでも、会社や事業を今後大きくしてくためにも広報活動に力を入れていくことが重要なことを二人から説明されて、わたしが手伝えることがあるならそれを頑張ろう――と思ったのである。
そんな、わたしの広報就任物語を最高にデフォルメして書いたのがこちらのブログである。
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【ASUE通信】「えぇっ!?わたしが広報に!?」フロントエンドエンジニアが広報担当になってしまった話
「ブログ読んでます!」が何より嬉しい――全力でふざけて、ASUEのよさを伝えたい
広報に就任してから、半年ほど経った。
どういう方向で活動していくのか、というのはずっと手探りではあったけれど、徐々にASUEのことを知ってもらえてきている手応えがある。
本当にありがたいことに、社外のセミナーに参加した社員から「N村さんのブログ読んでますって言われました!」と報告を受けたり、来社された方から「ブログ読んでます!」と言われたり、「ファンです!」と言っていただけることもある。
当初は、ASUE通信の更新をどんどんしていこう!ということだったが、自社のマーケティング担当にミヤタが就任したことで、わたしの役割はどちらかというと採用広報的な色が強くなった。
10月に自社の採用サイト内に採用ブログを立ち上げたところだが、採用サイトからの応募も以前よりもずっと増えてきている。
読んでもらえばわかると思うが、わたしの文章は多分、一部の人にとってはふざけているように見えるのだと思う。
でも、わたしのやることが他社のやっていることとどこかで差別化できるのなら、書く記事それぞれで「全力でふざけられる」ことだと思う。
業務のことを真面目に長文で見せられたって、読んでくれるのはきっと一部だ。真面目に福利厚生制度を紹介したって、どこの会社も同じようなことをきっと書いている。
だからわたしは、「ASUEが面白い会社だと知ってもらえること」を目指して、全力でふざけていきたいと思う。
この記事を書いた人はこちら
広報のN村
ASUE株式会社の広報担当・広報のN村。 2016年に彗星のごとく現れWebコーダーとして入社し、フロントエンドを担当した後、文才を見出され広報に異動する。業務中は大体鼻歌を歌っている。